『あいまいにしないでよ!』
昨日の晩、天音に言われたことが頭から離れず、胸の上を鉛の玉がゴロゴロと転がっているような息苦しさの中、俺は目を覚ました。寝惚け眼をこすりながらカーテンを開けると、塞がった胸の内とは裏腹に、澄み切った青がこちらを覗いていた。
台所の方からは、野菜を切る音が規則的に響いていて、天音が朝ごはんを作ってくれているのが分かった。昨日のこと謝らなきゃ。そう強く思いながら、しかし俺はトイレへ向かった。人間、便意に対しては常に無条件降伏だ。
「うんちいっぱいでた」と、ツイッターに呟く。一見非常識極まりない行為だが、これが俺のいる界隈では普通だ。現実の自分とは切り離した存在として、架空の自分が存在する。現実では端正な顔立ちで彼女持ちの大学生も、その世界では童貞無職の顔面クリーチャーだ。まあ。その世界のおかげで天音と知り合うことができたんだけど。
排便もそこそこに天音に声をかける。
「天音。おはよう」
「おはよう」
「昨日のことごめんね」
「だから。昨日とかそういうことじゃないでしょ」
もういい。と突き放すようなその背中は、しかし微かに震えていた。泣いている。そう気付いた瞬間に、俺は天音を抱きしめた。
「俺には天音しかいないよ」
「うそよっ…」
今にも消え入りそうな声だった。
「嘘じゃない。下ネタを呟くのはやめるし、ランダムに選んだ女性フォロワーの画像ツイート一覧から私物や体の一部をオカズにオナニーをするのも、もうやめる。」
「ほんと?あっ、んっ…」
俺は答える代わりにキスをした。天音は恥ずかしがりながらもキスを受け入れ、情熱的で艶めかしい愛の出し入れに注力した。
「あいまいちゃん。あたしをあいまいにして」
とろけてなくなってしまうような顔で天音が言った。セックスしようってことだろうが、そのセンスはよく分からない。恋愛がここまで人の知能を低下させてしまうのは何故だろう。どうでもいいや。セックスしたいし。
「天音。好きだ」
「あたしも好き」
「愛してるよ」
「「ちゅっ」」
〜fin〜
そういう夢を見た。
夢だったなんて、とは思わない。鼻は詰まり喉はガラガラで、カーテンを開ければ鉛を張ったような曇り空。薄汚れた窓ガラスには童貞無職の顔面クリーチャーが映っている。そんな現実が受け入れられないだけなんだ。有耶無耶にしてくれ。