秋の風物詩

 夏の風物詩、と言われて何を思いつくだろう。

 青い空、白い入道雲、急に降り出す夕立、揺れる風鈴、夜空に輝く打ち上げ花火。そのどれもが空にまつわるなか、ひとつに怖い話ーー怪談がある。

 夏と怖い話が結びつく理由は、交感神経を活発化させることでゆくゆく寒気を感じるから、や、盆にかえってくる霊を鎮めるために芝居をしていたから、など諸説あるが、そうと知ったのは大人になってからで、子供のころはすぐさま連想されるように「夏=お化け」と思いこんでいた。

 おばあちゃん子だった私は、祖母とひとつの布団で寝ていた。私を寝かしつけるその物語をより近くで聞くために。

 その多くはかぐや姫、ぶどう法師、見送りお香、赤ずきんといった童話と呼ばれているもので、どれも「むかし、むかし」から始まった。ゆっくりとした声を聞いていると、自然と瞼が落ちてくる。

 一番記憶に残っているのは「狼人形」だ。

 私はひどく怖がりなのに、怖い話が好きな子供で、夏になるとよく怪談話をせがんだ。「平頂地獄桜」「三頭からす」など話してくれたが、なかでも「狼人形」は忘れられない。

 豆電球の橙色だけを残した祖母の部屋。窓から樹々と土のにおいが入ってくる。近くの田園で虫たちの饗宴が響き、ひんやりとした夜気に混じって蚊取り線香の香りが漂う。おばあちゃんはそっと私を包み込んだ。

「狼人形」も他の物語と同じように「むかし、むかし」からはじまった。後にこの話のもとは古くからあり、広く知られている「狼人形」は幕末に活躍した月性という武闘派の僧が作り上げたほら話だと知った。本来は仇討ちや裏切りなどが起こる長い話だが、祖母が語る「狼人形」は、子供にもわかりやすくしたものだった。

 ある日、若い侍が散歩中の山道に、狼の人形が落ちているのを見つけた。可愛いものに目がなかった侍は、恥ずかしながらそれを納屋に隠して、毎夜ひそかに愛でていたが、実は狼人形は村を祟るために作られた呪物だと分かった。続いた村の不審死に怖くなった侍が寺の和尚に相談すると、狼人形を特別な箱に入れたくさんのお札を貼り埋めなさいと言われる。そうすれば狼人形は効力を失う。何があっても箱を開けずに朝になれば、村の祟りは収まるだろう、と言う。侍が和尚の言う通りにして家にいると、やがて、外に提灯の気配を感じた。何だろうと、戸を一寸ほど開いて庭を覗くと、そこにいたのは何か企んだような笑みを浮かべた寺の和尚で、ーーという感じだ。

 私が祖母の「狼人形」で一番覚えているのは、和尚が侍の住む家へやってくる場面だ。暗い夜道を提灯を持ち近付いてくるのだが、そこで祖母が和尚の履いている草履の音を口にした。

「ずさ、ずさ、ずさ」

 草履の音を口にする必要はあるのかと思ったのはもっと後のことで、そのころの私は真っ暗い闇のなかに、提灯の灯りと月の光に仄かに照された和尚の袈裟が恐ろしく感じ、その場面になると、隣にいる祖母の腕にしがみついた。そのたびに祖母は「暑い、暑い」と言いながら笑った。あのとき私がしがみついた祖母の腕の柔らかさと、天井で灯った橙の電球、見上げた天井の木目は、十五年経った今でも忘れられない。

 「狼人形」は怪談だが、私にとっては心が温かくなる思い出の物語だ。